30歳過ぎから工学 vol.2

http://d.hatena.ne.jp/j130s/ から移行しました.オープンソースロボットソフトウェア技術者兼主夫. 高校・大学学部文系-->何となくソフトウェア開発業-->退職・渡米,テキサス州でシステムズ工学修士取得,しかし実装の方が楽しいと気付き縁があったロボティクス業界で再就職.現在 Texas 州内の産業用オートメーションのスタートアップに Georgia 州から遠隔勤務.

震災と,自分がすべき事と,なぜするのか,と.

日本に関係があるすべての皆さんに,震災のお見舞いを申し上げます.
一ヶ月以上更新しなかったのは blog というものを始めた 2002 年頃以来初めてだと思います.この間,授業等の傍ら,急遽 SMU 内の日本人学生と一緒に始めたチャリティ活動をしています.米国中の日本人学生が何らかの義援活動をしており,それに刺激を受けつつ私も何かしないと落ち着かなかったので,Tシャツを買ってもらったり,来週には震災時に東京に居た教授らを招いて講演会を行います.もしダラス近郊の方でこのブログを御覧になっていたら,4月12日の講演会に是非お越しください.(詳細は SMU 日本人会のサイトにて入手可能).
日本まで遠いこともあり,現金での支援が最も有効と考えるのは妥当性があると思います.しかし私個人的には,米国に居るという立場を考え,アメリカ人や留学生など,この地にいる人と気持ちを交換し合うことが,金銭支援以外にもとても大事と考えて行動してきてるつもりです.予算的なことを言えば被害額は国家予算の数分の一にもなり,日本が単独で復興するのは現実的ではないレベル.だから海外からの支援は不可欠で,それには政府レベルではなく,すぐそこに居る国民レベルで理解し合わないと,数ヶ月,数年レベルの長期的な支援は得られないのでは思います.
また,そういう堅くこすっからい話だけじゃなく,募金してくれるという心意気や,実際多くの非日本人が身体を動かして救援活動にあたってくれてる事実もあるわけで,一日本人としてありがとうという気持ちを彼らに伝えるのも (直接的には日本の支援にはならないけども) 大事なことだと感じています.米軍のトモダチ作戦は二万人程度が,普通に命に危険があったであろう地震翌日から動いています.先日授業で,SMU 日本人会のチャリティについて宣伝して良いぞと授業担当者が言ってくれたので,数分間喋りました.その担当者ふくめ米軍関係者が多い授業なこともあり,宣伝の他にトモダチ作戦への謝意も伝えたところ,授業履修者でいま急遽横須賀に派遣になっている米軍の原子力技術者からメイルをもらいました.オンラインで入手可能な授業の録画をミッションの合間に観たらしく,"君の言葉は私や (授業を傍から眺めていた) 同僚達に届いたよ.全員から,どういたしまして." とのこと.とりわけ米軍というと,一日本人として認識しておかなければならない事は色々あるわけですが,少なくとも今は素直に感謝の言葉を述べる時期だと思います.そして米軍に限らずすべての出会う人にむけて,日本人はみんなの支援を頂きつつ前向きに歩き始めているよという姿を見せるのが,(直接被災こそしていませんが) 私のできることかなと考えています*1
最後に,そもそも自分はなぜ義援活動をしているのか.母国だからというのは当てはまりません.これまで地震の被害は何度もあったのに何もしませんでしたし,規模がこれまでより大きいから,というのもどこか本質的で無い気がしています.つまるところ,私を日本のために何かやらねばと突き動かしているものは,震災当日夜に栃木の母から受け取ったメイルで,震度六強の揺れを感じた際に彼女が "もうダメだと思った",という事実でした.自分の最も大切な人が感じた恐怖.何万という命のひとつひとつがかけがえの無いもの.その中にあって私個人にとってかけがえの無いものはまずは私自身の家族であり,家族が無事だったということがありがたい.まとめると,おそらく,被害の巨大さと,家族もそのごく一部に含まれるということと,でも家族は無事だったことの三つのことの対比が,何とか少しだけでも役に立ちたい,と思っている理由な気がします.

*1:原発の状況は米国からもみな不安視しているわけで,そう綺麗事のようにばかりいかない,というのはあるのですが.