30歳過ぎから工学 vol.2

http://d.hatena.ne.jp/j130s/ から移行しました.オープンソースロボットソフトウェア技術者兼主夫. 高校・大学学部文系-->何となくソフトウェア開発業-->退職・渡米,テキサス州でシステムズ工学修士取得,しかし実装の方が楽しいと気付き縁があったロボティクス業界で再就職.現在 Texas 州内の産業用オートメーションのスタートアップに California 州から遠隔勤務.

昭和・平成の中学野球部員の想い出その2

前回投稿 (昭和・平成の中学野球部員の想い出その1) で,例外的に下級生時から出場できる選手がいる,と書いたが,そのうちの一人の長島大輔選手について.自分の20代前半まで野球のスター選手でした.

前回も書いた佐野日大高の4番打者の弟さんで,小学校時代から町の少年野球では噂でしたが,中学で同じチームとしてみてみると格が違って,私は中1で 150cm そこそこだったのにむこうは 180cm ある感じで,そら話にならねーだろと.中1の時の3年生のチームはなかなか強くて,エースの杉山昌弘さんはその後作新学院 (その25年後に夏の甲子園で現西武ライオンズの今井達也投手を擁して優勝するあの高校ですね) で准エースとかになったはずですが,長島君はそういうチームで1人だけ3年生の練習に混じってブルペンに入ってたはず.

2年秋で自分らのチームになった際には満を持してエース投手となり,彼が投げたら大体打たれなくて,練習試合で前年全国優勝の芳賀中学とも互角にやり合えたりして,県大会上位にいくのも期待できるのではと自分らではなんとなく思ってたと思います.中学軟式野球は県大会にいくと投手はどのチームもそこそこ良いのでとにかく打てず接戦になり,ミスした方が敗けるという中々の緊張感.あれはなんとも言えず楽しかったし,ベースコーチなのでダイアモンド内でプレーはしてないけど敗けると悔しかった.私らの3年最後の試合は栃木東中学の,後に佐野日大高を甲子園に数回導く左腕の中村将明投手をまったく打てずに0-2とか完封負けだった気がします.試合後は全員号泣だった覚えがw

(ちなみに上記の中村投手,私が3塁コーチを務めて見た100試合近い中でもかなり球が速い方で,こら uten わー,と思ってたら結局,軟式の中学全国大会優勝したのではなかったかな.しかしその1,2年後に甲子園大会でテレビを通してみたら軟投派になっていて,中学の後に身体の状態や投球スタイルに変化があったとかでない限り,あんな豪速球投手でも甲子園行くと球遅い方になっちゃうのかと.)

長島選手はその後同じ県立宇都宮高校に進学し1年次から控え投手で,2年次以降はエースで出場していたはず.3年次には栃木県の好投手として全国紙にも名前が出ていて,チーム状態も良かったはず,夏の甲子園行きは在校生として真面目に期待していたところがあった.結局たしか県予選最後,後の西武ライオンズ小関竜也千葉ロッテ・渡邊俊介の国学院栃木高校に敗れたとかだったと思う.当時授業中に公衆電話で経過を聞いてました.他の高校だと授業休みにして試合を見に行くこともあると聞いてたけどそんなことはまったくなかったなあ.

その後たしか推薦で立教大学に進学,私が進学した慶応大学戦を中心に機会があれば神宮球場に立大の試合をみにいってました.
この方のブログにもあるように "立教の4番・長島" で,あのミスター・ジャイアンツと同じとさせるということで (正確には嶋と島の違いがあるが),また全国紙に何度か載ってたと思います.投手で入学したものの1年秋には打者として新人戦に出場していたのを見た気が.2年春には六大学リーグ戦に四番・一塁で出場してたと思います.出てきた頃は慶応のエース岩井投手から本塁打を放ったり,今後に期待を抱かせてくれました.しかし4年の頃は調子が落ちてたのかわからないけど,最後の打席も見に行きましたがたしか後に日ハム入りする東大の遠藤良平投手から力ない中飛に倒れて試合終了,東大に敗れリーグ最下位,彼の大学野球も幕を閉じるという,立教関係者じゃない私も残念に思ったりしました.

その後は本田技研鈴鹿で野球をされた後に,さいきん栃木の地元の友人と話したら確か長島君も栃木に戻ってる,と聞いた気がします.

長島君との個人的想い出としては,そういうわけで体格の違いが大きすぎて同じチーム内なのに一緒にプレーしたことが殆どないが,ある時に顧問が中学卒業後に野球を続けたい奴は基本をしっかりせい〜!とキャッチボールやトス打撃を徹底するよう言われたことがあり,その時にキャッチボールでちゃんと狙った所に投げ続けられるとして触れてもらったのが長島君と私だけでした.野球"選手"として唯一誇りに思ってる点ですw.

自身の中学運動部の甘辛い想い出 (ほぼ辛い,最後の3%だけ良い想いもした) に始まり,その中で光り輝く感じだった友人の活躍,日本の最高峰・プロ野球まで行くのか?といった期待に胸踊り,でも紆余曲折で夢途絶える,そういう経験をさせてもらえたのは友人・同級生として本当に有難いなあ,と四十を超えて噛み締めます.