2021年夏に妻の医学研修 (residency) がすべて修了しました.2014年夏に開始し,途中に1年間弱の臨床から離れ研究を行った期間を含み,6年間の一般外科と,1年間追加での分野特定外科研修でした.もはや永遠と思えるほど長い7年間で,しょうじき筆舌に尽くせるのか自信がない辛い経験だったのですが,大変さをもっと発信しても良いのではと親から言われたのが直接のきっかけでこれを書き始めました..そもそも喉元過ぎてこの記憶を風化させるのも悔しく,同じような経験をした配偶者/パートナーの方は数多いるはずなのにネットで意外と見つからず *1,配偶者視点でもっと情報あっても良いでしょうとも思う.ということで,以前も述べたように,忘れないうちに配偶者として異国でみた医学研修を書いておきます.きつかったし,とても多くのことを諦めた期間でした.感情的で恨み節みたいになってしまうと読んで頂く意義もよくわからなくなるかも知れないので,事実を淡々と綴るにとどめようと試みます.
自分の経験した外科研修医の配偶者生活を一言で言い表わすなら,やや特殊なワンオペ,でしょうか.配偶者が家に中々いない,家に居ても心身とも疲れ切っている (なのでワンオペから完全には開放されない).こう書いてみると同じような状況の親御さんはそれなりにいそうな気がしてきました.
- 表記について捕捉: 1) "米国では" という記載を多くするかと思いますが,あくまで個人的経験 (と一般的状況についての幾許かの情報収集) に基づいており,米国の事情についての一般論ではないことをお断りしておきます.2) 米国では後述するように医療の専門内容を学ぶ学位プログラムの入学には既に学士を取得済である必要があり,高卒で入学するのが基本線である日本の "医学部" と立ち位置が異なり "医学大学院" と呼んだ方がより相応しいと思いますが,役割は日本の医学部とほぼ同じと言って差し支えないと思うので,日本の通例に合わせて医学部と呼称を統一しています.
まず時系列:
- 生まれも育ちも日本の私がテキサス州に大学院留学中に,米国育ちの妻と出会い,交際開始後に医学部入学.
- 4年後,医学部卒業直前に結婚,その1ヶ月後からカリフォルニア州に引越し・妻の一般外科研修開始.
- その1年後,第一子誕生.妻,デフォルト2週間の産休を3ヶ月に延長することに成功 (ただし年間の長期有給休暇はすべて消費する羽目に).この子の喘息が発覚し頻繁に入院,親も頻繁に体調崩す.3年後,第二子誕生.
- この間,私は仕事は東京にあり,婚姻による永住権が取得できるまでは旅行者ビザで3ヶ月米国に滞在 --> 日本帰国 --> 渡米,の繰り返し.結婚1年強後に永住権取得し,やっと米国に定住開始.2017年に米国のスタートアップ企業に転職,引続き在宅勤務.
- 2019年,2ヶ月間の僻地医療研修のため車で3時間離れた山奥に妻が単身赴任.私,きつすぎて一時期,立てなくなる.なお妻は翌年の専門研修の面接も同時期にこなしたこともあり,同2ヶ月の間に休暇0日を達成.
- 2020年,コロナウイルスのためパンデミック突入.同年,一般外科研修修了.専門研修のためジョージア州に引越し.https://j130s.hatenablog.com/entry/2020/08/23/140456
- 2021年初夏,第三子誕生.夏,専門研修修了.秋から研修でない業務開始予定
以下,質問応答形式で事実を羅列します.
Q.1日のスケジュールは?
夫妻の生活は第一子誕生と共に劇的に変わりましたが,妻の仕事スケジュールは変わりませんでした.朝はおおむね5時台には家を去っていたように思います.6時過ぎに家を出ていると,今日はゆっくりなんだね,と声をかけていたのを思い出します.病院まで車で20分ほど.
これは日米共通かと思いますが,外科に限らず医科研修の過酷さを最も象徴すると思われるのが英語で言う所の "On-Call",日本語では当直と呼ばれる,超長時間勤務でしょうか.当直の日,研修医は朝仕事に入り,終わるのは翌日の午前中あるいは午後です.米国の研修事情に詳しい記事にもありますが [3],昨今米国の研修医の勤務状況の改善はゆっくりながら進んでいるらしく,連続勤務時間が28時間までと一応規定されているようです.しかし28時間で終えて帰宅してきたことは決して多くなかったかな.もっとも,研修中の上司にあたる高齢の医師達の研修経験は48時間勤務など当然だったそうで,だいぶ改善が見て取れますが.
当直の第1日目,2日目と非当直の日の3日間の大雑把な時間割を図にしてみました.
- だいたいこの3日間が1セットになって延々と続くことが多かったように思います.
- なおこれ平日の場合で,子らの学校がない土日祝は子らが起きてる間はフルに見ることに.米国だと "Have a great weekend", "How was your weekend?" 等週末は素晴らしいものでそれを共有することは日常会話で当然とみなされてそうですが,ワンオペ (でもトゥーオペでもそうだけど) の週末は子らに始まり子らに終わる,他人様と共有して盛り上がる話は大してない,なんだかなあという習慣です.
- 当直の日は朝早く出て,次の日の昼前後に帰宅するのが主でした.朝は総じて早かった.
- 帰宅後,仮眠するのですが,疲れすぎてるのか,昂ぶってるのか,仮眠に苦労していました.仮眠の後は子らを保育園に迎えに行き,余力が残っていれば夕餉・風呂を共にしてしましたが,余力が残ってなかったこともまあそりゃ多かったです.
- 配偶者担当となっていない時間帯が自分の時間です.なにかしてるか,子の夜泣き対応か,寝ているか.
- 個人的には妻の勤務先のカフェテリアがけっこう美味しく,土日に彼女が勤務だった時は子らとの時間を作るのも兼ねてランチや夕餉は子らを連れて行き勤務中のママと一緒に病院で食べたことも数え切れず.
Q.配偶者目線で,外科研修医はやはり忙しい?
研修医の仕事は拘束時間的にも,精神的にも,非人道的と言って間違いではない気がします.妻は仕事と子らを優先するためにありとあらゆることを諦めた時期だったろうと思います.
- 時間的には上に述べたように当直含め尋常ではないスケジュールのようです.外科手術はものによると長時間手術室で立ちっぱなしというのもあるらしい.12時間何も飲み食いしなかったー…とか何度もあった気が.家に帰ってきても pager / ポケベルはよく鳴ってるし,常にコンピュータで電子カルテを見ていたし,しょっちゅう電話していた.事務作業も多そうであった.その上で年1回の国家試験準備もしていた.更に家で起きてれば子供の食事の世話等色々やってくれた.
- 産後半年間くらい?母乳を昼夜およそ4時間おきに絞って冷凍していて,勤務中・手術中も例外でなく,タイミングや搾乳する場所に苦労したらしい.この現代においてなお,授乳する外科医の待遇は病院内で整ってなかったとのこと.
- 精神面.どんなに自分が疲労してようが,患者さんには生死の境にいる方も多い.患者さんが亡くなったと落ち込むのも何度も見ましたし,患者さんの苦しみを家庭に持ち込まないようにしてたように思いますが,どうしたって漏れ出てくるもの.大変な患者さんを看ている日に,心持ちが穏やかになるよう気を遣ってあげるのは配偶者の役割と思ってました.そして家に帰ってくれば小さい子供がいる (そりゃかわいいですが世話は焼けて別なストレス溜まる.典型的な夕方には,帰宅後最初5分間溺愛を見せるものの次の5分後には叱りつけている).相当に溜まる状況だったのかなのかなと思います.
- ある日彼女のメンター的な外科医から聞いたという言葉,"外科医にとってはいつものきつい1日かも知れないが,患者さんにとってみれば今日が人生最悪の日かも知れない",というのを思い起こして気を奮い立たせてるのをよく見ました.
- なんにせよ私は私でワンオペで溜まりますから,まあそれはよく喧嘩しました.
- 研修四年目くらいから子供が産まれる同期生も出てきたものの (2010年代のカリフォルニアの大学病院でなお,研修医が産休に入ることを悪びれることなくリクエストできる労働環境ではなかったらしい),研修一年目最後で一人産まれた妻は基本,研修期間の大半を妊娠・子育て兼ねたことになります.同期生が近場のワイナリー (有名なナパ・ヴァレーはじめ地場のワイナリーが結構あった) に誘っても行かなかったことも多い.私は行ってきなと言ってもこちらの気を遣ってくれてしまっていた.とかもあり息抜きが難しかったはず.
- 近場で研修医同士が集まる時には,行ける時には漏れなく行ってもらうようにしてました.極めて大事な息抜きかと.私 (と子ら) もよくついてったけど,みんな苛烈な仕事してるのに,そういう場でにこやかにできるくらいの余裕を保ってる,半端ない人達だなと感じずにはいられなかったです (酒の力もあるのでしょうが).
Q.休暇は?病欠は?
- 丸1日の休暇は,平均で月に4日間くらいあったという感覚です.実際にはそれより休暇が多い/少ない月もありました.研修医同士が相談して翌月の日程を決めていたようで,一旦決まると余程のことがない限り変更はできてなかった印象.
- 1年間で合計1ヶ月のまとまった有給がありました.それだけ聞くと多いようにも思えるかもですが,まあそれでも年間の休暇日数は普通の仕事より少ない.事前交渉で承認されればそれをどう小分けにするかは自由だったようです.
- 妻の場合,体調不良を理由に欠勤したのは7年間で数日間あったかどうか.2日間程度ではなかったかと思います.7年間健康体だったわけでは決してなく,妊娠出産を除いても,寝つけないほど体調を崩していたことが何晩もありましたが,こらえこらえ出勤していたようです.
Q. 研修期間の出産子育て状況
(この箇条書きは友人の指摘を受けて追加)
- 研修中に出産するのはありなのか:あくまで身近な例しか知りませんが,妻の医学部友人と,研修の同期や近い年次では,少ないけど研修中に子を産んでる人達はいそうです.外科は研修が5年のようですが後半に出産する人の方が前半より明らかに多かった.前述したように,産休申請すると良い顔されない風潮はあるらしいものの,否定もされないらしい.
- なぜ研修中に子を産み育てたかったのか:研修と出産・子育てとの両立は大変になるのは容易に想像がつくので,なぜそうしたのか.私達の場合,妻の希望で,3人欲しいので早目に産み始めたかったようでした.研修医の子育て事情も十分リサーチ済のようでした.配偶者等周りのサポートがあればやれる目算があるんだなというのが分かりました.一方私の方はそこまで子が欲しいという希望も,子育てやりきって見せるという覚悟も当時はなかったんだけど,強い思いと覚悟に反対する理由も思いつかなかったので,協力します!という感じだったです.大変さの予測を見誤ったなとは後で思いましたが,後悔はないです.ただ,もし配偶者の方に仕事等いまやってることをスローダウンしても良い準備・環境がなければ,お勧めできないかなとは思います (私は 97% 在宅勤務なのと,勤務先のマネジャ達の理解があるのとで https://j130s.hatenablog.com/entry/20190126/p1,必要な時にスローダウンが許される職務形態でした).
Q.私達が得ていた子育て支援
- 共働きのため,子らは産後数ヶ月で保育園を開始しました.
- 日頃からベビーシッターを複数人お願いしていました.両親とも子を看れない事態があってはならないので日頃から慣れたベビーシッターを確保しておきたかったのと,ベビーシッターがバックアップ無しに一人だけだとまずいので複数・定期で依頼してました *2.ただ,経済的に贅沢も言えないので,一週間で計10時間以内くらいにしていました.
- 夜中や早朝に子守りが必要な場合,隣の市で大学院に通っていた妻の妹も可能な時は助けてくれました.他には家族は近くに居ませんでした.産前産後に見かねた妻の祖母が日本から単身来て住み込みで助けて下さったのは幸いでした.
- 日曜の教会では,礼拝中は子らを預けられ,礼拝後の昼食時は参列者が常に見て下さっていて,気を抜くことができました.教会員の中には夜中預かってくれる方もいて,1,2回お世話になりました.
Q.研修プログラムによる配偶者向けのサポートはあるのか
- 配偶者グループがあり,おそらく研修プログラムから少し予算も出てたはず.割と活発に色々やってたみたいです.
- しかし私は仕事してるので殆ど参加できず.でも,研修医の配偶者という特異な状況を分かり合える人達に話ししたければ話できる場がある,というのが有難かった.第一子が産まれた直後はグループ内有志が食事を届けてくれて嬉しかった.
Q.研修プログラムによる外国人向けサポートはあるのか
日本語で書いてるので,読者の中には今後米国の研修への参加を検討されている日本の方のうち言語等サポートが気になる方もいらっしゃるかもわかりませんが,これは分かりません.妻の外科研修プログラム同期生は知る限り配偶者含め全員米国育ちの米国籍人で,私が唯一米国育ちで無かったと思います.そのような環境なので外国人向けサポートを気にしたこともなかったです.
Q.研修医の給与水準は?
- 医者と言うと給与が高いというイメージがあるかも知れませんが,研修医は妻の場合,いわゆる日本でいう大学院卒新入社員程度の給与かと思います.それでいて,月間の勤務時間数でいうと通常の仕事人のそれに比べ2倍か3倍なので,時給で言うとおそらく最低賃金以下となります.
- 研修プログラムは一方では教育で,実務を通して理論の実践方法を学ぶいわゆる OJT という位置づけでしょうか.で,研修医達が散々不平を言っていることですが,もう一方の側面はいわゆる "cheap labor",安い労働戦力という見方です.研修プログラムを運用する病院の多くが,研修医がいないと臨床が成り立たないほど研修医達に依存している,なのに最低以下の賃金・過酷な労働環境におかれている,という批判かと思います.医師当事者でない私が唯一コメントできるのは,研修医にストレスかかりすぎると家族にも負担がかかるんです,ということか.
Q.改めて,大変だったことは?
- とにかく妻は仕事で家に居ることが少なく,家族も周りにいない (隣市にいた妻の妹は頼りにはさせて頂いたが,彼女も忙しく,親に頼るとかとはちょっと違う),極端なワンオペの一種,という立ち位置でしょうか.有事にはほぼ自動的に自分がすべてを止めて対処にあたる."誰にも頼れないんだ" という気持ちは,それほど悲壮ではなかったけど,持ってた気がします.
- 第一子が2歳になるまでとかく病気がちで,隔月で ER (救急) に連れて行っては数日入院するレベルで体調崩してたのを思い出します (今ではすっかり強くなってくれましたが).妻は医者ですから容態や対応について指示を貰えるのは有難かったものの,そばに居ないことが多いし (ただ,彼女の勤務先の病院の小児科にかかってたので,勤務中にしょっちゅう小児病棟に来てくれたし,手術等がなくデスクワークの時はコンピュータ持って入院中の部屋で仕事しててくれた).ER や小児病棟ではもう顔見知りに.トラウマというのか,夜中に息子が咳込む度に,あ〜またか..と何か胸が締め付けられる感じに今でもなってしまいます.子が可愛そうというのが第一義ですが,あーまた自分のこと何もできなくなるのか,というのも正直ある.
- 最初の子の時はすべてが初めてなのできつかった.不思議と,二人目のときは労力が二倍か相当に増加してるわけだしもっと大変と感じて良いのに,そこまで大変だった記憶はない (立てなくなったことはあるが).慣れか.
- 妻が Lake Tahoe という2時間離れた山の上の美しい湖の街に単身赴任になった二ヶ月間,一人で可愛そうだということで,毎週末子らを連れて彼女のアパートに行っていました.運悪く仕事の繁忙期と重なり,ある日立ち上がるのも辛くなってしまいました.その一ヶ月間あまり機能しなかった記憶があります.
- 慣れたとは言えワンオペと仕事で手一杯で,子供達に色々やってあげられたとは到底思えず.
- 子らを一人で面倒見るワンオペ,当初の想像を超えて,自分のことができなくなりました.SNS 全盛の時代,他人のやることが羨ましく見える.そもそもが仕事大好き・勝手気ままな性格で,家族のために自分を顧みないタイプではなかった.でも妻を支えるのは結婚の時に約束したことでもあり,葛藤こそしたけれど (今もしてるか) 不思議とそれが当然と思えてはいます.趣味の時間とか仕事の出張とか,とにかく我慢するのは当然になっている.妻の仕事がやや落ち着くのでひと山越えた感があるとは言え,こらが小さいうちは自分の時間が限られてるのは変わりはなく,我慢路線は継続かと思ってます.
以上,文才の無さに辟易・落胆してますが,よろしければ感想/ご指摘等あればコメント欄にぜひお願いします.
参照した外部サイト
[1] A Day In The Life Of A Medical Spouse (studentdoctor.net)
[2] Final stretch of a life in a medical resident's family (born2b-loved.blogspot.com)
[2] 米国研修医の働き方改革、「振り子の揺り戻し」の段階へ (m3.com)