インターネットの時代に日本外に住む (preface)
六ヶ月のインターンシップの締め括りを今週に控え,いまだに最終プレゼンの準備のためコードを修正したり (そしてそれが動かなかったり) しています.シリコンバレー最後の日曜なのに教会の礼拝も断念.
さて大層なタイトルの割に (このブログはいつもそうですが) 中身はありません.中身を書かないというか面白い中身を書く能力が無いと言うか書いてる時間がないのですが,休憩時間に見つけてしまったブログが興味深すぎるので,備忘録的にリンクを後尾に貼っておきます.4年前くらいの古いリンク達ですが内容は今でも通用する箇所がある.
インターネットがあることで日本の外にいても日本語の情報に普通に接することができ,都市部ならば日本人コミュニティを見つければ付き合う人も日本人に限定することもかなり可能.本人が望むならば生活の大半を日本語だけにすることもできてしまうのではないかと思います.
私自身に限れば,日本の外のビジネス/エンジニアリングコミュニティに興味を持って留学・就活しているわけで,生活を日本だけに限定という発想を来た当初持って無かったし,今も特に控えてます*1.しかし他の人が外国で日本限定生活にこだわる事については,それぞれ外国にいる/いなきゃならない事情があってのわけだから,他人の私がどうこう言えたことではない.ただし!ここからが特に言いたい部分なのだが,今日はブログ書いてる場合じゃないので後日に先延ばしします.
以下が気になったリンク達と特徴的箇所.
海外に住んでも母国語中心に生きること - My Life Between Silicon Valley and Japan
でも何十年も昔に留学などでパリに行った人は、日本でだけ共有されてる体験から否応なく切断される分、フランス社会との同化のスピードが早かったんじゃないかという気がします。共同体の構成員って、神話であれ、歴史的事実であれ、日々の事件であれ、出来事を共通の記憶として所有していることが一つの原初的な条件だったわけですけど、それが、テレビの電波と出版物とで国家の単位にまで拡張された後に、とうとう国境を越えることになった。フランスにいても、僕の知っている日々の情報と、フランス人たちが知っている日々の情報との間には国境が引かれている。情報そのものは世界中から閲覧可能でも、それを読めるのは主に日本人ですから。その国境は、そのまま、僕と彼らとの間に引かれたものだという感覚を持ちました。
日本は鎖国しているらしい - Innovation/イノベーション壁新聞
インターネットを始めとして世界が狭くなってきている状況の中で、日本から情報を発信する努力をしなくなってきている。下手をすると日本以外からの情報取得もしなくなってきている。という逆行する流れの中にいるのか?と思うわけです。
日本は世界のブラックホールか桃源郷か -[渡辺千賀]テクノロジー・ベンチャー・シリコンバレーの暮らし
・・・・さて、この先の話の展開として、私が
「日本が世界から隔絶されているのは良くない、何とかしてその壁を乗り越えるべきだ」
と言うと思った方。残念でした。そんな普通のことは言いません。うふふ。
私としては、「これはこれでいいんじゃないの?」というのが自論。
(中略)
猫やら犬やらを孤島に放してしばらく経つと、全く異なる新種が誕生し、世界から珍重される、といったことがあるが、日本も同様に「全く違う、とんでもない製品」が出てくる場所になりつつある。だからいいじゃん、と思うのですよ。そもそも、世界が単一化するのもつまらないし。
インターンではこんなのばっかり眺めてます.ロボティクスのミドルウェア "ROS" の一画面で,起動しているプロセスと,プロセス間の通信内容の一覧 "rxgraph".中々ややこしい事をやってますがこれがヤメられない. |