30歳過ぎから工学 vol.2

http://d.hatena.ne.jp/j130s/ から移行しました.オープンソースロボットソフトウェア技術者兼主夫. 高校・大学学部文系-->何となくソフトウェア開発業-->退職・渡米,テキサス州でシステムズ工学修士取得,しかし実装の方が楽しいと気付き縁があったロボティクス業界で再就職.現在 Texas 州内の産業用オートメーションのスタートアップに Georgia 州から遠隔勤務.

名門大学院生の自害

人から聞いて知ったのですが,米東部の名門プリンストン大学の計算機科学の博士課程学生が自殺したと,同大学の学生紙 "The Daily Princetonian" が記事 "Zeller GS, 27, dies in hospital" で報じています*1.また同記事内から,故人の遺志によりオンラインで全文公表されている遺書とおぼしき文書へリンクが貼られています (遺書全文へのリンク)*2
遺書を全文読みました.幼い頃にある人に受けた性的虐待の記憶が彼を終生苦しめたとのこと.その苦悩と,期待した効果が出なかったあらゆる努力と,彼が自身の葛藤により "傷付けてしまった" (と彼が感じている)人達への想いと,特に恋し合う相手ができる度に "闇" と呼ぶ暗い記憶に強迫されうまく行かなかったこと.また,生涯苦しんだ苦悩を友人知人医者含め一切の他者へこの遺書まで口外できなかったこと,その背景には人間のゴシップ好きという軽薄な側面への嫌悪があったこと,キリスト教を信じられなかったことでカトリック教徒の両親に勘当されたことも明らかにしています.
しかし,上述の本人の他者への懺悔のような気持ちとは逆に,同紙では "類まれなプログラマ,才能あるシェフ,献身的なボストンレッドソックスファンで,かつ常に他人を立てる" と評されており,実際,早速立ち上がったらしい追悼サイトで在りし日の故人を写真で垣間見ることもできますが,温かく活発そうで交友関係も恵まれた,如何にも優秀な大学院生といった感じを受けます.



ほぼすべての人の死は哀悼すべきもの.しかしながら今際の際の独白を目の当たりにしたことで,特に彼 Bill Zeller に対して追悼の気持ちを持ちました.遺書を読んで私が苦しくお腹が痛くなったのは,彼が他者の軽口への失望を,怒りを抑えつつ淡々と記している箇所.そして写真で明るく振舞う彼が,死ぬ以外に活路を見い出せぬ程の苦悩を持ち続けたこと.自分に照らして考えた時,周りにどれだけ,同じような苦しみを内に秘めながらも,努めて明るく振舞っている人がいるのか.そのような人達に対して私は軽薄で,ひどい事したことはないのか.もしこれまでにやってしまってるようなものなら,これからどう気を付けるべきなのか.そうならないためにはいっそのこと何も喋らない方が良いのか.人間は傷つかずには居られない存在だと誰かが言ったのを良いことに,しょうがないと言って次に進めば良いのか.それで良いのか.
せめて私ができるのは,ご冥福をお祈りしつつ,遺書を読んで感じたこのような後ろめたい気持ちを無駄にしないことだと思っています.

*1:この出来事をブログに書くかどうか私個人の考えを書いておきます.まずブログを書いた時点で,日本語でこの件に触れている記事が未だネット上に見当たりませんでした.性的虐待による苦悩とその結果選ばれた自殺,ある家庭内の不和といった内容は,必ずしも世間に広められる必要がないのかも知れません.しかし,本文にリンクを貼りましたが故人を偲ぶ人達の想いがある,そしてまた故人自身の遺書を公表するに至った想いも考え,日本語でも情報があって良いはずと考えて書きました.遺書にもありますが,読んだ方々が各自の結論を出して良いのだと思います.

*2:1/18/2011 追記; 軽々しく扱うべき類のものではないと考えたのでリンクは貼っていませんでしたが,遺書末尾にはむしろ広めて欲しいとも取れる故人の遺志が書かれてもいるので,当ブログからもリンクを貼りました.