30歳過ぎから工学 vol.2

http://d.hatena.ne.jp/j130s/ から移行しました.オープンソースロボットソフトウェア技術者兼主夫. 高校・大学学部文系-->何となくソフトウェア開発業-->退職・渡米,テキサス州でシステムズ工学修士取得,しかし実装の方が楽しいと気付き縁があったロボティクス業界で再就職.現在 Texas 州内の産業用オートメーションのスタートアップに Georgia 州から遠隔勤務.

日系人,米国で育つ,時々日本にもゆく

海外子女教育新興財団というところが発行する海外子女教育という月刊誌があります.長男が通ってる日本語補習校を経由して無償で入手させてもらえていて,どれほど発行部数あるのか不明ですがかなり肉厚な月刊誌.

この10月号 (joes.or.jp)の文芸コンクール受賞作品で中3の方が書いた "謝ってよ" という題名の文章が強烈です.うちの子らと同じく北米で育ってる方のようで,他人事と思えず.転載でなく要約なら問題ないかと期待しつつ以下:

  • 小学校は毎夏日本の小学校に短期入学し,友達によくしてもらったが,複数の小学校から生徒が集まりより大人数になる中学校では,当人が夏に短期入学すると既にグループができていて,小学校で仲良くしてもらった友人達にもなぜか無視された.学校でいつも一人だった.
  • 歴史の授業で第二次大戦での日本の被害を学び,級友に "アメリカ人なんでしょ?原爆のこと謝ってよ" と言われた.米国でも小4の時に真珠湾を学んだ際,級友に "日本はどうして攻撃してきた?ひどいじゃないか" と言われた.いつも不思議に見られながら誇りを持って昼食時に食べていたおにぎりを,その日は食べられなかった *1
  • この2つの出来事を経て,日米の歴史教育が自国の被害しか教えてないと感じた.歴史的出来事を一面からしか知らないと,当事者以外に対して敵対心を抱えたままとなり,協調,平和といった話合いは難しくなるのでは.
  • 歴史や社会問題を一面でなく色々な観点で見る機会を提供するのが自分の役割と悟った.冒頭のような皮肉を言われたとしても,対話のきっかけと捉えたい.

日本の農村地域で生まれ,学校で習う内容に時に違和感は感じれど,行動するほどではなかった自分にも思い当たるフシがあったりします.米国に来て自分がマイノリティ側になったり,近隣アジア諸国から来ている人に罵声をかけられたこともあったりして,少なくとも自分が学校教育の内外で得てきた知識の一/寡面性には気付くことができた.

しかし最も衝撃なのは自分のことではなく,私の子らがこんご似た経験をし兼ねないという事実.年初にも書いた通り夏休みに日本の小学校に短期入学させてもらうことを検討していますが,言葉も文化も断片的な子らが馴染むことが出来るか.米国の学校で,少数派のアジア人として,誇りを持てるか.歴史認識と言った大きく複雑な領域では大人ですら無知で,増して日米のような立場の異なる二国の観点なんて子供に持ちようがなくても仕方無いでしょうから,厳しい経験をするのは仕方のないことなのかなと想像はつきます.子供達が結局は自分で乗り越えることなのだろうと思っていますが,傍らに居る親としても易しい経験じゃないんだろうと思います.この文章の作者のように葛藤を経て極めて前向きに考えられると素晴らしいですが,そうならずむしろ屈折してしまったとしても,親としては寄り添ってやらないと.

f:id:j130s:20211012115842j:plain

6歳児は乳児の妹が大好き.この子らがこれから色々な楽しいことも苦しいことも助け合いつつ乗り越えてく…んですかね?今だけ見てるとちょっと信じられない.

 

*1:妻も経験あるみたいですが,おにぎりを知らないお子さん達からすると,ご飯を握ったものという時点で既に違和感ある上に,黒い海苔が決定的に奇妙に映るんだそうです.